入った全日制高校を1月経たずやめるまでに至った考えと今後の方針
今いる高校をやめようと思うので、なんで高校が自分にとってだめだったかを早いうちにメモしとこうと思い書きました。思った通りを言葉にしただけなので読みにくいところあると思いますが、これが今のありのままの気持ちです。
高校の効率の悪さ
突然ですが、僕は効率の悪いものが嫌いです。道を歩いてても効率良く行ける道順を常に考えるし、少しでも短縮できそうなところがあればそれを削るように努力しながら生活しています。だからこそ、高校の効率の悪さというものには耐えられなかったのだと思っています。
まず、僕はまず今回の高校を選ぶ際、高校は勉強ないし大学の為であると考え、勉学に励める高校を選び、面倒なイベントの活動などはすべて行わないようにしようと考えていました。ただ入ってみるとそのようなことはあまり可能ではありませんでした。
高校には何と言っても堅苦しい行事ややることがたくさんあります。最初の入学式から、オリエンテーション、様々な書類提出、委員会・係活動、毎日のホームルーム、掃除、体育祭・文化祭及びその準備 等々、色々あります。結局のところどれをとっても効率が悪いの一言でした。生徒同士の集団で行動するものに関しては、所詮生徒の集団であるため、そもそも効率という概念が欠けており、さんざん喋りながら行っていたり、同じようなことを何度も繰り返したりと非常に効率が悪かったです。これらは自分が回避しようと思って回避できるものではなく、人にやらされたり、ルールとしてやらなくてはいけなかったりしてしまうものでした。僕はあんまりメンタルが強いタイプではないので、ルールを破るとか、仕事をすっぽかすとかそういうことが出来なく、その点も余計神経を摩耗する要素となってしまうようでした。
また生徒だけでなく教師やその上の立場の人間が関わってくるような入学式や、入学前後の書類提出などもまた、死ぬほど効率が悪かったです。今の時代に手書きで地図は書かせるし、何枚もの紙に署名が必要だし、「セキュリティの為」と称し生徒及び教師の私物パソコンの持ち込みを禁じたりととにかく非効率で非合理的なものがまかり通っている世界でした。
他で言うと、僕が電車が乗るのが好きではないというものもありました。高校だと基本的に一人暮らしは認められないため、貴重な時間をわざわざ1日あたり2時間も移動に費やさないといけませんでした。
正直な話、僕は学ぶこと自体は好きなので、世間では学んで意味がなかったと言われている古文漢文や日本史などを知識として学ぶことは好きですし、それ自体であれば多少苦痛でも乗り越えていけると思います。ただし問題はそれ以外の部分です。面白くもない体育祭や文化祭の準備に自分の時間を費やさせられ、何のためになるでしょうか。ホームルームの時間に長々と話を聞かされ、何が面白いでしょうか。意味もなく長いだけの苦痛な電車に長時間乗らされ、何が生み出せるでしょうか。「セキュリティの為」といった極めて不明瞭かつ不合理な理由により私物コンピューターを持ち込ませないことにより、誰が得するでしょうか。
このような勉学以外の極めて価値のなく面倒なものが多いなかでは、とても勉学だけやっていられる状況ではないと思いました。
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そもそも同級生と話すのが好きじゃなかった
高校に行く理由というのは人それぞれで、もしくは理由がなく通っていた、という人も中にはいるかもしれないのですが、大体の人にとって友達というのは大事な要素になっていたはずです。もともと僕自身集団生活が苦手といったわけもなく、友達を作ることに対し特に苦労したこともありません。高校に入ってからもそうで、人間関係には基本的に苦労しませんでした。
ではなんでこの話をするかというと、単純に僕は同級生と話すのが好きじゃないと感じたからです。繰り返しになる気がしますが、僕は効率を求めてしまう人間です。またさらに様々なものに意味を求めてしまいます。同級生との会話というのは僕にとって、究極の非効率であり、また意味のないものであると感じさせるものでした。
高校生レベルとの会話というのは実に僕にとって物足りないもので、くだらないことで言い争ったりするし、変な屁理屈ばかり言う人もいるしであり、それらの人たちとの会話は全く非生産的なものでした。また致命的なのは誰とも趣味が合わない点です。そもそも自分の趣味というのは少し特殊というかビジネスライクな感じではあるのですが、全く趣味が合わないと余計に面白いと思うことも少なかったです。多分そこらも自分の効率と合理性を求めてしまう性格が余計に災いしてるところがありそうですが、ともかく、これも効率の悪さを感じさせてしまう一因となっているわけです。
ニュージーランドの高校と比べて
こんな記事を読んでくださっている方々は既にご存知だとは思いますが、僕は昨年、日本の中学3年生に相当する学年をニュージーランド オークランドの現地校で過ごしました。
ニュージーランドの現地校では、ホームルームや学校のイベントは極めて少なく、またイベント等がある場合は任意参加もしくは授業の時間を使用することがほとんどでした。これにより、僕は毎日同じ時間に家に帰ることも出来ましたし、家にいる時間を有効に使い学校の課題をやったり、自分の制作物を作る時間とすることが出来ました。
このような学校を経験しているため、日本の高校とは考えが合わなかったのもおそらく、今回の判断に至った一つの理由だと思います。また他に具体的には、「生徒は学校という社会の中で学ぶべきであり、アルバイトは推奨しない」といった旨の記述を見た際には本当に驚きました。「学校」というわずか全校生徒が1000人程度しかいないようなものを「社会」というのは正直に言って頭がどうかしてると思いますし、そもそも生徒がどのように他との関わりを持ったとしても自由だと思います。なぜ学校側は生徒を束縛しようとさせ、あまつさえ面倒なイベントやその仕事を生徒に押し付け、また参加を義務としてしまうのでしょうか。特に僕の場合、学校以外との関わりが多いですし、自分の制作物を作るのに時間を使いたかったり、また学校の友達だけでなく他の友だちとも遊びたかったりするわけで、それらに使う時間も自分にとって重要な時間なわけです。同じ学校にいる生徒とはいえそれぞれ、学校に於いて、勉強することに価値を見出す人、友達を見つける場所として価値を見出す人、仲間と一緒にイベントを成し遂げることに価値を見出す人、色々いるわけです。なぜこれらの全く違う人間の自主性に任せることなく同一のことをさせるのか極めて疑問で仕方がないです。
これからの自分の学業について
実は僕の高校入学当時の目標は、海外大学に進学しそこで Computer Science を学ぶことでした。ただし、「これを達成するために高校に通い3年間時間の無駄をし続けること」と「それを妥協し、今の3年を有意義に過ごす事」を天秤にかけた際、「妥協すること」を取り今の結論になったという経緯があります。
先も触れましたが、僕は学ぶこと自体は好きなので、今後の目標は全日制高校に通わない方針で大学に入学することとしたいと思います。この道を取ることにより、おそらくは海外大学への進学が難しくなり、国内大学への進学がメインの道になる可能性が高いとは思っていますが、正直な所、国内大学であっても留学制度自体はあるだろうし、また国内大学卒業後海外の大学院などへ進学すればより専門的なことが海外で学べるのであろうと判断しました。これも先程言いましたが、僕は学ぶ為であれば多少の困難は乗り越えられると思っています。なので、大学や大学院といった学習に重きを置ける所では困難であっても乗り切れると自負しています。
この目標をクリアするために、まずは塾を見つけ、そこで数学・物理・化学の3教科を学び続けていこうかと思っています。
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〆
中学不登校 + 高校が続かないというクズみたいな人間ですが、いくら塾等に行くとしても、それなりに暇は出来ると思うので、その時間を使いひとまずは社会というものを学んでみたいです。まずはアルバイトもしくはインターンといった短時間/短期間で仕事をしてみたいと思っています。もしこんなのに興味のある方がいらっしゃいましたら、是非 Twitter の DM か、 i@miruc.co までメールを投げてくれると嬉しいです。
ポートフォリオサイトは作ってないですが、英語力が英検準1級相当くらいあったり、WordPress のテーマ作ってたり、テーマレビューチームのモデレータとかいう少し権限の持った人だったり、WordPress のテーマとかプラグインとかの翻訳に貢献してたり、WordPress プラグインの統計グラフを Vue.js で作ったりしました。最近は Vue.js, Nuxt.js を学びつつ、Web サービスの開発を進めてたりもしてます。
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